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アレンジ

 「ケータイ少女」のラジオで植田佳奈氏が佐藤利奈氏に言った言葉が耳に残っている。

 「レシピ通りに作ればそうそう失敗しないのに、料理下手な人に限って『アレンジ』をしたがるのよねぇ」

 厳しいが、かなり的を射ていると思う。この分だとこの言葉は僕の「座右の銘」の殿堂に入りそうだ。



 mixiの数ある(この時点でかなりダメ:苦笑)オーディオコミュの中で唯一僕が加入しているのは「貧乏オーディオ」なんだが、たまにそれ以外のコミュを覗いてみたりする。その中で散見された話を見て、またこの言葉を思い出してしまった。
 長岡鉄男氏の発表したスピーカを設計通りに作らずに「アレンジ」をする人が多いのだ。また、波動スピーカやタイムドメインYoshii-9を「自作」する人にも実に多い。

 僕自身がアンプやCD/DVDプレーヤの改造なんかしてて思ったのは、改造は「設計変更」である事、そしてその結果、元の物以上にするには当然その「変更後の設計」が元を上回っていなければ不可能。言ってしまえば元の設計者以下の水準では手を加えても元以上になる必然はなく、実際に元以上になる可能性は低い。
 そして、長岡氏に至っては最終的に彼の抜群の耳で追い込んだ設計なので、僅かでも「アレンジ」をしたが最後、設計通りの音は出ない。それどころか発表された図面通りに作ったって彼が成した音にはそうそう、ならないのだ。複製を作るにしても、設計の意図を理解して作るのとただ闇雲にコピィするのでは出来は違ってきて当然だと思う。これって「パクり」と「パロディ」の違い(オリジナルにリスペクトがあるか)にも通じるものがあるように思う。ましてやアレンジ。アレンジしたらその「再設計」の責任者はオリジナルの設計者ではなく、アレンジした自分自身である事を忘れてはいけない。

 趣味だからね、面白尽くでいいとは思う。面白ければ独自要素を盛り込むのも自由だ。しかし、その結果でオリジナルを「評価」するってのは、違う。Yoshii-9が塩ビ管でなく金属管なのには、ちゃんと意味があるのだ。それを塩ビ管で「間に合わせ」れば「間に合わせ」の音しか出ないのは必然なのに「なんだ、Yoshii-9大した事ないじゃんか、あんな高価いの買わなくてよかった」とか言っちゃうのはやっぱり失礼だと思う。
 自作とは「自分で作る」事。例えば長岡氏の設計したスピーカを作るにしても、その設計を選んだのも自分。いい音が出れば長岡氏に感謝し、出なければ望む音の出る設計を選べなかった自分の責任。そうやって自らの責任を自覚しながらやらないと、いつまで経ってもスネかじりのままだ。
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by sompi1 | 2012-04-22 04:09 | オーディオ | Trackback | Comments(0)