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渡されたバトン さよなら原発

 4/26テアトル石和にて試写会。本上映は5/25~31の予定。
 反原発の映画かと思ったら、ちょっと違っていた。これは「反原発を描いた映画」であって、映画そのものが反原発を訴えようとするものではないように思えた。




オフィシャルサイト

 これは巻町の原発建設計画が白紙撤回されるまでの映画である事は最初から発表されているのでこの点に触れる事は特にネタバレではない。

 巻町に原発建設計画が発表され、当初は街が活性化すると大歓迎するが、やがて原発の安全性に疑問を持つ人々が騒ぎ始め、対立が始まる。この時、推進派の論理はとにかく「カネ」一辺倒で実にシンプルで解り易い。対する反対派は安全性疑惑がベースなのだが、とにかく説得力に乏しい。いや実は彼らこそ「何が正しいか」という思考をしている人達なのだが、人類は基本「何が正しいか」という尺度でモノを考えられる程賢くはない。人類の多くは「何が自分に都合いいか」でしかモノを考えられない。しかもそれは極めて近視眼的で。その中にあって「何が正しいか」という尺度でモノを考えられる人種はごくごく少数派なのだ。しかし反対派の彼らには「正しい」事があまりにも自明であり過ぎるためか「都合」や「カネ」の尺度でしか世界を見られない連中に対して説得力のある発言ができない。そして互いに「なんでわからんのだ」という苛立ちの上に対立を深めていく。この図式を描けるという事は当然作者はその両者を把握している(両方を充分に理解できるかは別として)って事なんだろうな。
 興味深いのは、推進派の、特に土建関係の連中がよくある陰湿な嫌がらせに出ない事だった。自主的に住民投票を準備する事務所にトラックを突っ込ますぐらい当然やるだろうと思って観ていたが、そういう事もしない。これって推進派が「所詮人はカネが全てなのだ」(反対派の活動もより多くのカネを引き出すためのポーズでしかない)と強く信じているか、推進派もまた「街の繁栄のため、子孫のため」と自らの正義を信じていたからなのか。恐らくその両者が混在していたのだろう。これは反対派にとってとても幸運な事だと思う。チンピラヤクザ的嫌がらせに晒される日々という闘いを何十年も続けるなど容易な事ではないし、それ以上に映画として悲惨になり過ぎる。
 そして何より皮肉なのが、スリーマイル島やチェルノブイリが大事故を「起こしてくれた」お陰で推進派の絶対安全神話が崩壊した事。あの大事故があったればこその奇跡的な逆転だった。あれがなければ反対派が巻き返す事など到底あり得なかった。

 正直、地味な映画だった。映画館で観る作品だろうかと思える程に。脚本はジェームズ三木氏。TVドラマ作家という認識があったが、今回その印象を強くした。しかし、それは決して否定的な意味ではない。昨今TVドラマだって正味2時間を越える作品はある。さすがTVドラマの大家はその間視聴者にchを変えさせない術を心得ている。これだけ地味な映画のそこここに小さなドラマをちりばめて飽きさせずに最後まで見せてくれた。そして「映画館で観る必然」は映像で主張する。デジタルプロジェクタを導入したばかりのテアトル石和のクオリティを遺憾なく発揮していた。上映前にDVDによる予告編も流したから、その画質の差は歴然だった。

 いきなり冒頭に「日本の青空III」と出る。ラストにも「渡されたバトン製作委員会」ではなく「日本の青空III製作委員会」と出る。「日本の青空」「いのちの山河」に続く第三作だかららしいのだが、初めて観た僕には「何のこっちゃ?」であった。こういう不親切なディスコミュニケーションを排する努力が望まれる。

 出演者の渡辺梓氏は特撮モノにも出ていたと聞いたのでWikipediaで調べてみたら、マジレンジャーのマジマザーだった。…それより!富士宮出身で高校の後輩じゃんか!そっちにびっくり。
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by sompi1 | 2013-04-26 23:02 | レヴュー | Trackback | Comments(0)