2013年 10月 19日
どっちにしろ雲の中
つまり、共通のモノサシなんて本当に基本的な部分にしか存在すらせず、そこから先は作る方も評価する方も職人芸/特殊技能扱いになる。評価される以前に「それが解るか」というのも重要で、既成概念を打ち破るような画期的なモノは大抵、受容されない(「評価されない」以前)。
教科書知識と既成概念に縛られた脳には、画期的=トンデモ(いわゆるオカルト)という直結の思考回路が形成されている。結果から言えば多くはそれで間違いではないのだが、中にはそうでないモノもある。そうでないモノを嗅ぎ分ける能力は本物の特殊能力だ。特に日本人は勤勉なるが故に権威志向が強く、この直結回路に無条件に依存する傾向が強い。
そんな状態で、理解できていないモノを解ったつもりで上から目線で「評価」しようとする者、自分の理解を超えている事をあっさり認めてブランドや評論家、そして値段という「権威」を指標にする者、そして身の丈を自覚してそれ以上のモノに手を出さぬ者、更には身の丈を自覚しながら「授業料」を払う者といろいろに分れる。自分の足場も見えていない(事にすら気付いていない)者は上からだろうと下からだろうと結局雲の中を見ている(実際には雲しか見えていない)わけで、つまりは何を「信じる」かという信心論になる。身の丈や自らの視座を認識して臨む「科学の姿勢」はオーディオ界では少数派であり、異端ですらあるわけだ。
無知と迷信の支配するオーディオ界に科学の土足で踏み込む無粋者には、どんな未来が待っているのか。この歳になるともうそんなに残ってないけどね、未来(苦笑)。