2016年 10月 22日
アガペーの女
あ、ちょっと面白い。なんか悔しい(笑)。
強引に大別するなら、SF侵略モノという事になるのだろうか。
地球人に触れ、地球人から学んだのは愛。しかしそれは、皮肉にも人類が概念しか知らず、ついぞ獲得した者のない[無償の愛]アガペーであった。
舞台の左手にグランドピアノ、右手には布をかけられたアップライト。幼稚園の舞台だから備え付けなのだろうか。にしてもピアノ2台?と思ったら、グランドピアノは芝居の大道具らしい。本物を持ち込んだのか。相変わらず贅沢な人だ。
ビアノの下に1台だけEVのスピーカが置かれていたのはピアノの演奏シーンの音効用だったのか。演奏シーンではピアノの音がいい向きから聞こえてきた。グッジョブ。
まさかこんなSF設定とは予想外ではあったが、描きたかったのは「人ならざる者」が人の愛を学び、人には到達できない愛に軽々と到達してしまう皮肉なのだろうから、別に異星人でもロボットでも、異世界人でも構わなかったわけで、むしろ昨今は宇宙が深く解明され過ぎて、近年の若者向けでは「未知の種族」を安易に異世界に求める傾向がある事を考えると、そうはしなかったのは僕より10歳ばかり年長の藤谷氏をしてごく自然な選択であったように思う。
そこから先は実に解り易い展開。意外性のかけらもない結末に向かって「お約束」という日本古来の様式美を以て描き切る潔さはむしろ清々しかった。客に解らないものを見せて「勝った」気になる似非芸術家とは一線を画す、これこそ「大衆演劇」というもののあるべき姿だろう。甲府市内の既知の地名や店名がどんどん出てくるあたりのサーヴィス精神も観客にしっかりと響いていた。グローバルでも普遍的でもない、今日、ここに来てくれた客だけのための舞台。これも「生」の正しい在りようのひとつには違いない。
正直、当地は田舎である。ずっとここに住み、ここしか知らずに高齢になった人も多い。平素出かけて芝居を観るなんて事もなく暮らしている人も。そんな人たちの希少な観劇経験としては、このぐらい観客に歩み寄ったものの方がすんなり入れるんじゃなかろうか。やや観劇ゴロに踏み込みつつある僕にジャストミートではなかったが、それは仕方ない。むしろそんな僕が部分的にしろ楽しめた事は大きく評価できる。客観的な評価としては、終演後の観客の満足げな顔が全てだろう。まさに客観(あ、石投げないで)。
既に伝統を築きつつあるアートフェスタ貢川において、今年唯一の演劇公演である。もう事実上、山梨の演劇文化は藤谷氏が支えているというのは間違いないだろう。勿論、他にも意欲的に演劇活動をしているグループはある。しかし若いグループはどうしても「仲間」でまとまらざるを得ない。県内のフリーの「芝居したい人」に具体的な活動の場を提供し続けているという実績ではダントツだろう。だからこそ、山梨文化の重鎮たちがこぞって彼に力を貸している。
ちょっと早めに会場に着いたら、突発的な人員不足で駐車場整理が足りないと言う。たまたま、車載の誘導棒(通称「ニンジン」)が壊れてしまい、つい先日、善光寺合わせで新しい点滅灯を買ったばかり。今回は思い切って短いの(※)を買ったが、とりあえず用には足りた。
※ニンジンが以前買った時よりえらく高価になっていたので、赤点滅機能つきのカンテラを買った。ニンジンとしては刃渡り(笑)8cm程度、普通のニンジンが太刀クラスなら僕のは果物ナイフ以下だ。辛うじて夜だったから光るので役に立ったが、昼の部だったらまったく意味がなかった。