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愛妻物語

 藤谷清六氏のひとり芝居。たまたま知人からの電話で今日だと知り夜の部を観に行った。アートフェスタ貢川2006のパンフ見て10月7日だと思い込んでいた。あぶねー、あぶねー。
 藤谷清六氏とは数年来、希薄な関係が続いている。彼は演劇や映画(自主制作)に関心が深く、会社経営の傍ら自分でも創作活動をしたり若い演劇/映画製作者の支援をしたりしている。今回はたまたま自分が役者として舞台に立つ事になってしまったらしい。僕は観客として芝居や映画を観るのが好きで、機会があると作る手伝いもしているだけなのだが彼には「演劇人」と誤認されているらしい。
 入場無料。「自分の道楽につきあわせるのだから」という姿勢は潔い。でもその気持ちでせめて5百円ぐらいの入場料を設定すべきだったようにも思う。無料にしてしまうと見る側の心構えが違ってしまう。実際、かなり前の方に座った僕の後方からはイビキが聞こえてきた。
 率直に言って、彼は役者として予想以上に魅力的だった。舞台からかなりの大きな声を出しているのに「普段の彼」の喋りのように聞こえた。「演技」と「素」の中間というか、素人っぽさを漂わせながら素人には出せない味を出していた。
 チェーホフの原作を読んでないので元の話は知らないのだが、内容は正直面白いとは言い難かった。「タバコの害について」とタイトルしておきながらその実妻の愚痴を延々聞かされる聴衆を僕の方が「演じて」いるような気になった。
 そして最後の投影映像。この僅かなエピソードでこれまでの舞台はがらりと意味を変える。これこそが「作家・藤谷清六」のやりたかった事なのだろうが、あまりにも不親切で殆どの観客にとっては意味がなかったろうし、残りの一部の観客にとってもただのぶち壊しでしかなかったのではないか。このへんが映像とのコラボの企画の難しさであり、それを超えて尚敢行する価値を疑問視されている所以なのだが、本末転倒これがやりたかったのだから仕方ない。
 「作家・藤谷清六」には「どうだ解らねぇだろう」というディスコミュニケーションを感じ、「役者・藤谷清六」には何かを「伝えたい」という熱意を感じた。この水と油のような両者をつないで形にした演出の水田拓氏の手腕が見事だったという事なのだろう。
 やはり、5百円取るべきだったと思う。5百円でも払っていれば観客の中には「最後のあれは何だったのだろう」と5百円分を取り戻そうとする人がいたかも知れない。無料だったが故に「あーあ時間を損した」で終わってしまうのが惜しまれる。千円だったら行かなかった(苦笑)。
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by sompi1 | 2006-10-01 03:47 | レヴュー | Trackback | Comments(0)